■■『諏訪湖クリーン祭』にブース出展■■
下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)主催の第30回諏訪湖クリーン祭に今年も参加してきました。
小口博靖会長は「活動は地味だが諏訪湖浄化のために続けることが大切。」と挨拶。清水悟町長からは「成果は出ている。目標の泳げる諏訪湖目指して頑張りたい。」とあいさつがありました。
大会宣言では、
●河川や湖などへゴミを捨てない
●合成洗剤を使わない
●食用廃油の完全改修
の3項目が高らかに宣言されました。
今年のクリーン祭は例年の”みずべ公園”ではなく公園横の湖岸道路の一部を歩行者天国として会場として、協議会加盟の各団体がさまざまなブースを出典しました。天竜川ゆめ会議も恒例『天竜川試験お試し版』でブースを出展しました。ここで、今年の問題を少しご披露しましょう。
【問題.1】
川の名前の多くは、その地名からつけられます。しかし「天竜川」の名前は地名から付けられたのではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「( )」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。さて、( )に入るのは次のうちどれでしょう。
①天の川 ②天の中川 ③天上川 ④天玉川
【回答.1】正解 ②天の中川
川の名前の多くは、その地名からつけられます。 しかし「天竜川」の名前は地名からつけられたものではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。「天竜」はもともと「天流」と読んでいたようです。これは天から降った雨が、峰から諏訪湖へ流れ出て、天竜川の流れとなることから、そう呼ばれていたのでしょう。
「竜」の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくかのように見えるというところからとか、天竜川の流れ出る諏訪湖の近くにある諏訪神社に祭られている竜神からきているという説もあります。
出典 天竜川上流河川事務所ホームページより
【問題.2】
昭和( )年6月、梅雨末期に停滞した梅雨前線の影響で大雨となり、飯田測候所では6月27日の1日降雨量が325mmを記録しました。この雨が原因で天竜川流域では、死者・行方不明約130名を出す大水害が発生しました。( )にはいる年はどれでしょう。
①33年 ②36年 ③52年 ④60年
【回答.2】正解 ②36年
昭和時代の63年間に記録としてある洪水が37回あり、伊那谷では約2年に1回は洪水にあっていることになります。近年は、釜口水門の改良、美和、高遠、横川等のダムによる洪水調節、アメダス等の情報によるダム操作等で、被害が起きる回数は減少してはますが、地球温暖化や山の荒廃等により思わぬ支川等で災害が発生しています。36災害は、記憶に残っている災害で大きなもので死者・行方不明約130名という被害が出ました。また、最近では平成18年7月豪雨災害では箕輪町松島北島地区で右岸側堤防が160mに渡って決壊する被害が出ています。
今年はその昭和36年の災害(36災害)からちょうど50年になり、各地で災害伝承のイベントが行われています。
出典 天竜川サイエンスP.118より
皆さんは正解できましたか?
下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)主催の第30回諏訪湖クリーン祭に今年も参加してきました。
小口博靖会長は「活動は地味だが諏訪湖浄化のために続けることが大切。」と挨拶。清水悟町長からは「成果は出ている。目標の泳げる諏訪湖目指して頑張りたい。」とあいさつがありました。
大会宣言では、
●河川や湖などへゴミを捨てない
●合成洗剤を使わない
●食用廃油の完全改修
の3項目が高らかに宣言されました。
今年のクリーン祭は例年の”みずべ公園”ではなく公園横の湖岸道路の一部を歩行者天国として会場として、協議会加盟の各団体がさまざまなブースを出典しました。天竜川ゆめ会議も恒例『天竜川試験お試し版』でブースを出展しました。ここで、今年の問題を少しご披露しましょう。
【問題.1】
川の名前の多くは、その地名からつけられます。しかし「天竜川」の名前は地名から付けられたのではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「( )」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。さて、( )に入るのは次のうちどれでしょう。
①天の川 ②天の中川 ③天上川 ④天玉川
【回答.1】正解 ②天の中川
川の名前の多くは、その地名からつけられます。 しかし「天竜川」の名前は地名からつけられたものではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。「天竜」はもともと「天流」と読んでいたようです。これは天から降った雨が、峰から諏訪湖へ流れ出て、天竜川の流れとなることから、そう呼ばれていたのでしょう。
「竜」の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくかのように見えるというところからとか、天竜川の流れ出る諏訪湖の近くにある諏訪神社に祭られている竜神からきているという説もあります。
出典 天竜川上流河川事務所ホームページより
【問題.2】
昭和( )年6月、梅雨末期に停滞した梅雨前線の影響で大雨となり、飯田測候所では6月27日の1日降雨量が325mmを記録しました。この雨が原因で天竜川流域では、死者・行方不明約130名を出す大水害が発生しました。( )にはいる年はどれでしょう。
①33年 ②36年 ③52年 ④60年
【回答.2】正解 ②36年
昭和時代の63年間に記録としてある洪水が37回あり、伊那谷では約2年に1回は洪水にあっていることになります。近年は、釜口水門の改良、美和、高遠、横川等のダムによる洪水調節、アメダス等の情報によるダム操作等で、被害が起きる回数は減少してはますが、地球温暖化や山の荒廃等により思わぬ支川等で災害が発生しています。36災害は、記憶に残っている災害で大きなもので死者・行方不明約130名という被害が出ました。また、最近では平成18年7月豪雨災害では箕輪町松島北島地区で右岸側堤防が160mに渡って決壊する被害が出ています。
今年はその昭和36年の災害(36災害)からちょうど50年になり、各地で災害伝承のイベントが行われています。
出典 天竜川サイエンスP.118より
皆さんは正解できましたか?
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