■■アカウミガメ放流ツアー募集締切■■
募集しておりました『遠州灘アカウミガメ放流ツアー』は、参加者が定員に達しましたので、募集期間内ですが受付を打ち切らせて頂きます。
残念ながら参加できなかった皆様にはお詫び申し上げます。来年の開催にはお早めにご応募下さい。
募集しておりました『遠州灘アカウミガメ放流ツアー』は、参加者が定員に達しましたので、募集期間内ですが受付を打ち切らせて頂きます。
残念ながら参加できなかった皆様にはお詫び申し上げます。来年の開催にはお早めにご応募下さい。
| 10:47
■■『諏訪湖クリーン祭』にブース出展■■
下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)主催の第30回諏訪湖クリーン祭に今年も参加してきました。
小口博靖会長は「活動は地味だが諏訪湖浄化のために続けることが大切。」と挨拶。清水悟町長からは「成果は出ている。目標の泳げる諏訪湖目指して頑張りたい。」とあいさつがありました。
大会宣言では、
●河川や湖などへゴミを捨てない
●合成洗剤を使わない
●食用廃油の完全改修
の3項目が高らかに宣言されました。
今年のクリーン祭は例年の”みずべ公園”ではなく公園横の湖岸道路の一部を歩行者天国として会場として、協議会加盟の各団体がさまざまなブースを出典しました。天竜川ゆめ会議も恒例『天竜川試験お試し版』でブースを出展しました。ここで、今年の問題を少しご披露しましょう。
【問題.1】
川の名前の多くは、その地名からつけられます。しかし「天竜川」の名前は地名から付けられたのではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「( )」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。さて、( )に入るのは次のうちどれでしょう。
①天の川 ②天の中川 ③天上川 ④天玉川
【回答.1】正解 ②天の中川
川の名前の多くは、その地名からつけられます。 しかし「天竜川」の名前は地名からつけられたものではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。「天竜」はもともと「天流」と読んでいたようです。これは天から降った雨が、峰から諏訪湖へ流れ出て、天竜川の流れとなることから、そう呼ばれていたのでしょう。
「竜」の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくかのように見えるというところからとか、天竜川の流れ出る諏訪湖の近くにある諏訪神社に祭られている竜神からきているという説もあります。
出典 天竜川上流河川事務所ホームページより
【問題.2】
昭和( )年6月、梅雨末期に停滞した梅雨前線の影響で大雨となり、飯田測候所では6月27日の1日降雨量が325mmを記録しました。この雨が原因で天竜川流域では、死者・行方不明約130名を出す大水害が発生しました。( )にはいる年はどれでしょう。
①33年 ②36年 ③52年 ④60年
【回答.2】正解 ②36年
昭和時代の63年間に記録としてある洪水が37回あり、伊那谷では約2年に1回は洪水にあっていることになります。近年は、釜口水門の改良、美和、高遠、横川等のダムによる洪水調節、アメダス等の情報によるダム操作等で、被害が起きる回数は減少してはますが、地球温暖化や山の荒廃等により思わぬ支川等で災害が発生しています。36災害は、記憶に残っている災害で大きなもので死者・行方不明約130名という被害が出ました。また、最近では平成18年7月豪雨災害では箕輪町松島北島地区で右岸側堤防が160mに渡って決壊する被害が出ています。
今年はその昭和36年の災害(36災害)からちょうど50年になり、各地で災害伝承のイベントが行われています。
出典 天竜川サイエンスP.118より
皆さんは正解できましたか?
下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)主催の第30回諏訪湖クリーン祭に今年も参加してきました。
小口博靖会長は「活動は地味だが諏訪湖浄化のために続けることが大切。」と挨拶。清水悟町長からは「成果は出ている。目標の泳げる諏訪湖目指して頑張りたい。」とあいさつがありました。
大会宣言では、
●河川や湖などへゴミを捨てない
●合成洗剤を使わない
●食用廃油の完全改修
の3項目が高らかに宣言されました。
今年のクリーン祭は例年の”みずべ公園”ではなく公園横の湖岸道路の一部を歩行者天国として会場として、協議会加盟の各団体がさまざまなブースを出典しました。天竜川ゆめ会議も恒例『天竜川試験お試し版』でブースを出展しました。ここで、今年の問題を少しご披露しましょう。
【問題.1】
川の名前の多くは、その地名からつけられます。しかし「天竜川」の名前は地名から付けられたのではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「( )」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。さて、( )に入るのは次のうちどれでしょう。
①天の川 ②天の中川 ③天上川 ④天玉川
【回答.1】正解 ②天の中川
川の名前の多くは、その地名からつけられます。 しかし「天竜川」の名前は地名からつけられたものではありません。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれ、その後「天竜川」と呼ばれる ようになりました。「天竜」はもともと「天流」と読んでいたようです。これは天から降った雨が、峰から諏訪湖へ流れ出て、天竜川の流れとなることから、そう呼ばれていたのでしょう。
「竜」の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくかのように見えるというところからとか、天竜川の流れ出る諏訪湖の近くにある諏訪神社に祭られている竜神からきているという説もあります。
出典 天竜川上流河川事務所ホームページより
【問題.2】
昭和( )年6月、梅雨末期に停滞した梅雨前線の影響で大雨となり、飯田測候所では6月27日の1日降雨量が325mmを記録しました。この雨が原因で天竜川流域では、死者・行方不明約130名を出す大水害が発生しました。( )にはいる年はどれでしょう。
①33年 ②36年 ③52年 ④60年
【回答.2】正解 ②36年
昭和時代の63年間に記録としてある洪水が37回あり、伊那谷では約2年に1回は洪水にあっていることになります。近年は、釜口水門の改良、美和、高遠、横川等のダムによる洪水調節、アメダス等の情報によるダム操作等で、被害が起きる回数は減少してはますが、地球温暖化や山の荒廃等により思わぬ支川等で災害が発生しています。36災害は、記憶に残っている災害で大きなもので死者・行方不明約130名という被害が出ました。また、最近では平成18年7月豪雨災害では箕輪町松島北島地区で右岸側堤防が160mに渡って決壊する被害が出ています。
今年はその昭和36年の災害(36災害)からちょうど50年になり、各地で災害伝承のイベントが行われています。
出典 天竜川サイエンスP.118より
皆さんは正解できましたか?
| 15:15
■■アレチウリ駆除作業ご協力ありがとうございました■■
【各会場の様子】
●岡谷会場 (2011.07.31実施) 参加者 25名
開会式を終了後し、釜口水門の右岸下流側と釜口水門上流側の諏訪湖畔の2箇所に別れ、繁茂したアレチウリを駆除しました。作業を開始した頃から雨足が強くなり9時前に残念ながら作業を中止しました。会場以外でも天竜川のアダプト区間を管理している地区に皆さんは早朝から駆除作業を行なっていただけたようです。お疲れ様でした。
●辰野会場 (2011.07.31実施) 参加者20名
作業服にタオル姿で、”やる気まんまん”で集合した参加者の皆さん。ところが、開会式を終え作業を始めた途端のドシャブリ雨であえなく中止せざるを得ない状況となってしまいました。それでも、地元に帰ってそれぞれがアレチウリ駆除をお願いできると思います。ありがとうございました。
●南箕輪会場 (2011.07.23実施) 参加者250名
南箕輪役場からの呼掛けで早朝より集合した各自治会の皆さんを前に、加藤副村長の挨拶から開会式が始まりました。毎年恒例の、河川清掃班とアレチウリ駆除班に分かれて作業が開始されました。作業開始6時、作業終了7時。予定通りの成果が出ました。早朝からお疲れ様でした。
●宮田会場 (2011.07.23実施) 参加者40名
南箕輪会場同様天候に恵まれ朝日を浴びながら参加者の皆さんは、大久保橋から天竜川の右岸堤防を中心に、ゴミ拾いとアレチウリ駆除作業を行いました。終点大久保ダムに到着する頃にはゴミの袋も一杯でした。
「暑かったけどきれいになった。」
「暑くなる前に、もう少し早くからはじめたほうがいいな。」
「来年は、東伊那川の大久保(左岸)もやるか。」
などとお話されていました。
●駒ヶ根会場 (2011.07.31実施) 参加者21名
行政関係の皆様や毎年恒例のなじみの皆様が顔をそろえ作業を開始しました。県道沿いまで繁茂したアレチウリの根を探すのは大変でしたが無事予定の作業を終了して解散しました。お疲れ様でした。
●中川会場 (2011.07.31実施) 参加者14名
他の会場と開始時間が違っていたのが幸いして、早朝の雨が止んだ頃に開会式で作業を開始しました。10時半には予定していた箇所の駆除作業が事故も無く無事終了しました。ご参加いただきました皆様お疲れ様でした。
●高森会場 (2011.07.09実施) 参加者180名
高森町ではメイン会場の他、町内5か所で開催され各自治区ごとに作業を行ないました。河川清掃とアレチウリ駆除作業は午前中には終了しました。
●飯田会場 (2011.07.31実施) 参加者24名
どしゃ降り雨のため開催を断念しかけましたが、開会式の7時になると不思議と天候は回復し、絶好の?アレチウリ駆除日和になりました。参加者は持参した雨ガッパを着込んで汗だくになりながら駆除作業を行いました。ありがとうございました。
あとがき ~御礼に替えて~
近年、天竜川流域でも注目されその知名度を上げている“帰化植物”。帰化植物とは、本来我が国には生育していなかった植物で、人によって意識的又は無意識のうちに持ち込まれ、野生の状態で生育するようになったものと定義されます。さらに、この帰化植物は大昔にイネと共に南方から入って来たもの(タウコギやカヤツリグサなど)、稲作以降中国大陸を経由して入った作物に伴って侵入したもの(ミミナグサやナズナなど)、明治以後の貿易に伴い輸入貨物に紛れ込んで入ったもの(ヒメムカシヨモギやセイタカアワダチソウなど)に大別されます。
目を転じて、日本への帰化植物の原産国である欧米諸国はどうなっているのでしょう。アメリカ合衆国では、日本から持ち込まれたクズが猛威を振るい、有害帰化植物として駆除対象になっています。また、環境活動で先進国といわれるイギリスでは、日本から帰化したイタドリが国中に蔓延し恐れられています。あちらでの呼び名は直訳すると「日本のタデ」。
イタドリは、日本では山野に当たり前に茂っている高さ1mくらいのタデ科の植物で、「痛みを取る」薬用として使われたことから「イタドリ」といいます。日本では富士山の中腹にも生えるほど生命力の旺盛なイタドリ。中国では「虎杖」というくらい“強い”植物です。この日本産イタドリにイギリスが手を焼いている報告が入っています。地下茎で広がる強じんな根や茎が、石垣、墓石を壊し、スーパーの駐車場の舗装を突き破り、堤防を破壊し洪水になり、貴重な遺跡にも被害を及ぼしているといいますから事態は深刻のようです。イギリスではこの「日本のタデ」は、史上最悪の帰化植物といわれています。日本では昔から当たり前に生息するイタドリ。しかし、日本では問題視されるような生息のしかたはしていません。イギリスで猛威をふるっている日本産イタドリの話は、日本ではあまり話題になることはありません。それと同じように、日本での帰化動物・帰化植物問題も原産国ではほとんど話題にもならないのかもしれません。アレチウリは原産国アメリカ合衆国においても「害草」とされてはいますが、いずれも原産国では問題になるような生息はしていないし、長い年月の中で勝ち得たポジションで生態系の形成の一員としてそこに生息しているのです。ただし、各国の帰化動物・帰化植物問題は、いずれのケースも“人間”が介在しているのは言うまでもありません。
天竜川流域に侵入してきた帰化植物への対応のあり方については、天竜川ゆめ会議の内部でも「天竜川みらい計画」策定段階から多くの議論が交わされ、その当時から会員の皆様の帰化植物に対する意識の高さを伺い知ることができました。帰化植物すべてを否定すべきなのか、有害であるから駆除するべきなのか、何をもって有害かそうでないかを決めるのか、それを判断する基準はあるのか、また誰が判断基準を決めるのか、日本国内に毎日のように輸入される園芸品種の植物達の扱いはどうするべきなのかなど、議論はつきませんでした。
結局、私どものバイブルである「天竜川みらい計画」策定の段階では結論を見出すことはせずに、全14項目からなる天竜川のみらい計画の大項目中、環境の項目2件を、
■伊那谷らしい多様な動植物が共存する天竜川
■豊かな自然を大切にし、伊那谷の特性を生かした景観を創出する天竜川
としてまとめられました。
その後、“侵略植物”“有害植物”などという言葉と共に帰化植物の存在はクローズアップされ、平成15年度に国土交通省天竜川上流河川事務所によってまとめられた天竜川流域の帰化植物に対する住民アンケートの結果から以下のような民意が抽出されました。
■帰化植物の認知度が低かったこと。また、流域住民が帰化植物に関する情報を欲している。
■帰化植物の駆除を含めた天竜川の河川環境を復元する施策に概ね賛同する。
■帰化植物の駆除作業には回答者の半数の方が参加しても良いと回答し、その頻度は年2回で1回あたり2時間程度なら参加してもという回答者が最も多く、ボランティア意識の高さがうかがえた。
これを受けて、天竜川ゆめ会議では帰化植物の議論が流域全体に広がりをみせ、流域住民が自ら私達の天竜川流域のために行動を起こす機会として「天竜川流域有害植物駆除大作戦」を企画してきました。現時点で帰化植物、または有害植物の議論は未熟ではありますが、今年度は特に有害帰化植物の象徴として近年天竜川流域に猛威を振るっている「アレチウリ」に限定して駆除する内容としました。
この「天竜川流域有害植物駆除7.31大作戦」の真の目的は、「流域の住民ひとりひとりが後世に誇れる天竜川を創造して行かなければいけないこと」に気づくことにあります。有史以来私達天竜川流域住民は天竜川から災害という恐怖よりはるかに多くの大きな恩恵を授かって来ました。恵まれた現代社会において、私達の中でその存在が意識から希薄になりつつある“私達の大切な宝物である天竜川”に人が集い、共に作業することによって天竜川に対する意識を少しでも高揚することができたならばこの企画は成功したといえるでしょう。さらに、このような活動を継続することによって、天竜川を介し流域の住民や行政関係者の一人一人が協力し合って、すばらしい郷土を作り上げていこうとする気運がなお一層盛り上がれば、私たちの目指す「天竜川みらい計画」は実現すると信じています。
今回の駆除作業開催に当たっては、ご共催を頂いた関係各機関の関係諸氏には多大なるご援助、ご協力を賜りました。末筆ではございますが深く感謝を申し上げます。
特定非営利活動法人 天竜川ゆめ会議 代表理事 福澤 浩
【各会場の様子】
●岡谷会場 (2011.07.31実施) 参加者 25名
開会式を終了後し、釜口水門の右岸下流側と釜口水門上流側の諏訪湖畔の2箇所に別れ、繁茂したアレチウリを駆除しました。作業を開始した頃から雨足が強くなり9時前に残念ながら作業を中止しました。会場以外でも天竜川のアダプト区間を管理している地区に皆さんは早朝から駆除作業を行なっていただけたようです。お疲れ様でした。
●辰野会場 (2011.07.31実施) 参加者20名
作業服にタオル姿で、”やる気まんまん”で集合した参加者の皆さん。ところが、開会式を終え作業を始めた途端のドシャブリ雨であえなく中止せざるを得ない状況となってしまいました。それでも、地元に帰ってそれぞれがアレチウリ駆除をお願いできると思います。ありがとうございました。
●南箕輪会場 (2011.07.23実施) 参加者250名
南箕輪役場からの呼掛けで早朝より集合した各自治会の皆さんを前に、加藤副村長の挨拶から開会式が始まりました。毎年恒例の、河川清掃班とアレチウリ駆除班に分かれて作業が開始されました。作業開始6時、作業終了7時。予定通りの成果が出ました。早朝からお疲れ様でした。
●宮田会場 (2011.07.23実施) 参加者40名
南箕輪会場同様天候に恵まれ朝日を浴びながら参加者の皆さんは、大久保橋から天竜川の右岸堤防を中心に、ゴミ拾いとアレチウリ駆除作業を行いました。終点大久保ダムに到着する頃にはゴミの袋も一杯でした。
「暑かったけどきれいになった。」
「暑くなる前に、もう少し早くからはじめたほうがいいな。」
「来年は、東伊那川の大久保(左岸)もやるか。」
などとお話されていました。
●駒ヶ根会場 (2011.07.31実施) 参加者21名
行政関係の皆様や毎年恒例のなじみの皆様が顔をそろえ作業を開始しました。県道沿いまで繁茂したアレチウリの根を探すのは大変でしたが無事予定の作業を終了して解散しました。お疲れ様でした。
●中川会場 (2011.07.31実施) 参加者14名
他の会場と開始時間が違っていたのが幸いして、早朝の雨が止んだ頃に開会式で作業を開始しました。10時半には予定していた箇所の駆除作業が事故も無く無事終了しました。ご参加いただきました皆様お疲れ様でした。
●高森会場 (2011.07.09実施) 参加者180名
高森町ではメイン会場の他、町内5か所で開催され各自治区ごとに作業を行ないました。河川清掃とアレチウリ駆除作業は午前中には終了しました。
●飯田会場 (2011.07.31実施) 参加者24名
どしゃ降り雨のため開催を断念しかけましたが、開会式の7時になると不思議と天候は回復し、絶好の?アレチウリ駆除日和になりました。参加者は持参した雨ガッパを着込んで汗だくになりながら駆除作業を行いました。ありがとうございました。
あとがき ~御礼に替えて~
近年、天竜川流域でも注目されその知名度を上げている“帰化植物”。帰化植物とは、本来我が国には生育していなかった植物で、人によって意識的又は無意識のうちに持ち込まれ、野生の状態で生育するようになったものと定義されます。さらに、この帰化植物は大昔にイネと共に南方から入って来たもの(タウコギやカヤツリグサなど)、稲作以降中国大陸を経由して入った作物に伴って侵入したもの(ミミナグサやナズナなど)、明治以後の貿易に伴い輸入貨物に紛れ込んで入ったもの(ヒメムカシヨモギやセイタカアワダチソウなど)に大別されます。
目を転じて、日本への帰化植物の原産国である欧米諸国はどうなっているのでしょう。アメリカ合衆国では、日本から持ち込まれたクズが猛威を振るい、有害帰化植物として駆除対象になっています。また、環境活動で先進国といわれるイギリスでは、日本から帰化したイタドリが国中に蔓延し恐れられています。あちらでの呼び名は直訳すると「日本のタデ」。
イタドリは、日本では山野に当たり前に茂っている高さ1mくらいのタデ科の植物で、「痛みを取る」薬用として使われたことから「イタドリ」といいます。日本では富士山の中腹にも生えるほど生命力の旺盛なイタドリ。中国では「虎杖」というくらい“強い”植物です。この日本産イタドリにイギリスが手を焼いている報告が入っています。地下茎で広がる強じんな根や茎が、石垣、墓石を壊し、スーパーの駐車場の舗装を突き破り、堤防を破壊し洪水になり、貴重な遺跡にも被害を及ぼしているといいますから事態は深刻のようです。イギリスではこの「日本のタデ」は、史上最悪の帰化植物といわれています。日本では昔から当たり前に生息するイタドリ。しかし、日本では問題視されるような生息のしかたはしていません。イギリスで猛威をふるっている日本産イタドリの話は、日本ではあまり話題になることはありません。それと同じように、日本での帰化動物・帰化植物問題も原産国ではほとんど話題にもならないのかもしれません。アレチウリは原産国アメリカ合衆国においても「害草」とされてはいますが、いずれも原産国では問題になるような生息はしていないし、長い年月の中で勝ち得たポジションで生態系の形成の一員としてそこに生息しているのです。ただし、各国の帰化動物・帰化植物問題は、いずれのケースも“人間”が介在しているのは言うまでもありません。
天竜川流域に侵入してきた帰化植物への対応のあり方については、天竜川ゆめ会議の内部でも「天竜川みらい計画」策定段階から多くの議論が交わされ、その当時から会員の皆様の帰化植物に対する意識の高さを伺い知ることができました。帰化植物すべてを否定すべきなのか、有害であるから駆除するべきなのか、何をもって有害かそうでないかを決めるのか、それを判断する基準はあるのか、また誰が判断基準を決めるのか、日本国内に毎日のように輸入される園芸品種の植物達の扱いはどうするべきなのかなど、議論はつきませんでした。
結局、私どものバイブルである「天竜川みらい計画」策定の段階では結論を見出すことはせずに、全14項目からなる天竜川のみらい計画の大項目中、環境の項目2件を、
■伊那谷らしい多様な動植物が共存する天竜川
■豊かな自然を大切にし、伊那谷の特性を生かした景観を創出する天竜川
としてまとめられました。
その後、“侵略植物”“有害植物”などという言葉と共に帰化植物の存在はクローズアップされ、平成15年度に国土交通省天竜川上流河川事務所によってまとめられた天竜川流域の帰化植物に対する住民アンケートの結果から以下のような民意が抽出されました。
■帰化植物の認知度が低かったこと。また、流域住民が帰化植物に関する情報を欲している。
■帰化植物の駆除を含めた天竜川の河川環境を復元する施策に概ね賛同する。
■帰化植物の駆除作業には回答者の半数の方が参加しても良いと回答し、その頻度は年2回で1回あたり2時間程度なら参加してもという回答者が最も多く、ボランティア意識の高さがうかがえた。
これを受けて、天竜川ゆめ会議では帰化植物の議論が流域全体に広がりをみせ、流域住民が自ら私達の天竜川流域のために行動を起こす機会として「天竜川流域有害植物駆除大作戦」を企画してきました。現時点で帰化植物、または有害植物の議論は未熟ではありますが、今年度は特に有害帰化植物の象徴として近年天竜川流域に猛威を振るっている「アレチウリ」に限定して駆除する内容としました。
この「天竜川流域有害植物駆除7.31大作戦」の真の目的は、「流域の住民ひとりひとりが後世に誇れる天竜川を創造して行かなければいけないこと」に気づくことにあります。有史以来私達天竜川流域住民は天竜川から災害という恐怖よりはるかに多くの大きな恩恵を授かって来ました。恵まれた現代社会において、私達の中でその存在が意識から希薄になりつつある“私達の大切な宝物である天竜川”に人が集い、共に作業することによって天竜川に対する意識を少しでも高揚することができたならばこの企画は成功したといえるでしょう。さらに、このような活動を継続することによって、天竜川を介し流域の住民や行政関係者の一人一人が協力し合って、すばらしい郷土を作り上げていこうとする気運がなお一層盛り上がれば、私たちの目指す「天竜川みらい計画」は実現すると信じています。
今回の駆除作業開催に当たっては、ご共催を頂いた関係各機関の関係諸氏には多大なるご援助、ご協力を賜りました。末筆ではございますが深く感謝を申し上げます。
特定非営利活動法人 天竜川ゆめ会議 代表理事 福澤 浩
| 17:53